日本人の健康リスク: 生命表(5)
鹿児島大学農学部獣医学科
公衆衛生学教授 岡本嘉六
「健康で長寿」とは言っても、病なくして死を迎えることは至難のことである。ならばい、西行法師が「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と詠んだように、せめて周囲の人々が快く集まってくれる季節に死にたいものである。炎天下、あるいは厳寒の中を無理して弔問に訪れたがために体調を崩したのでは申し訳ない。こうしたせめての願いは、どの程度叶えられるのか?
願はくは花の下にて春死なん
西行法師の句の解説に「願わくは、春、桜の花の咲く下で死にたいものだ。あの釈迦が入滅した2月15日の頃に」とあるが、その確率はどの程度だろうか? 死亡率の月別割合を計算したデータが厚生労働省「人口動態調査」の「1C 上巻 死亡」にあり、「月別にみた年次別死亡数及び率(人口千対)」を基に月別平均死亡率をグラフ化した。死亡率が最も低いのは重陽の節句(9月9日)の頃であり、2月に死を迎える確率はかなり高い。比較的容易に叶えられることを「願わくは」と表現するだろうか? 本土の最南端である鹿児島においても、二月に咲くのは「寒ヒザクラ」であり、ソメイヨシノは3月末である。「桜の花の咲く」のが4月初旬とすれば、死亡確率はだいぶ低くなる。西行法師の時代の2月15日は、現在の新暦にすると何時なのだろうか?
新暦と旧暦の対応は別にして、厚生労働省「人口動態調査」の月別死亡率の年次推移をもう少し詳細にみてみよう。死亡率の年次推移については、前回紹介したとおり第二次世界大戦を挟んで著しく減少してきたが1980年代後半から死亡率が上昇しており、月別死亡率もそれに応じた変化を示している。このグラフをみる限り、多くの年では9月の死亡率が最も低く、総じて最も低い1980年は1947年に比べて夏場の減少が著しいと感じる。しかし、このグラフからそれ以上の情報を読み取ることは困難である。
そこで、1980年以降10年毎に1947年の死亡率と比べてみた。各月の死亡率は1990年12月を除きほぼ平行移動した状態であり、これも「西行法師の時代」にヒントを与えるものではない。西行法師が2月に死ぬことはそんなにも難しいことではなかったのか? 「願わくは」は過剰表現だったのか? だが待てよ、2月は1947年と比べて各年とも他の月より低い傾向にあるではないか! これは、この50年余の間に2月の死亡率が他の月より大きく減少したことを示している。この50年を「西行法師の時代」まで敷衍することは暴挙であるが、少なくとも2月の死亡率は現在と異なっていたと考えても悪くはない。
何事もそうであるが、真相は簡単に見えてこない。データを読むためには、数値の羅列では判らないのでグラフ化するが、統計データから一つのグラフを描いてみても真相は遠い。私の学生時代にはイロイロと角度を変えてグラフを作る作業は大変であったが、現在はパソコンが僅かな時間でこなしてくれる。しかしながら、現代の学生は私達が手書きでグラフを描いていた時代の数分の一も費やそうとはしない。紋切り型のグラフをパソコンに作らせて終わりである。
それはともかく、西行法師が「2月」に死のうという願望は達成が難しかったのかどうかが今回の課題である。現在の暦では冬場の死亡率が高いのは常識であり、西行法師の時代には、こうした統計データがないから「願わくは」という過剰表現に至ったものなのか? それとも旧暦の季節が大きくズレていたためなのか? 年間死亡率に占める各月の割合をみると、戦後の3ヵ年の平均よりも21世紀の方が1,2,3月、ならびに7,8月低くなっている。これは冷暖房器具の普及を示すものか・・・。そして10,11月が高くなっているのは冷房で過した夏場に衰えた体力を物語っているのか・・・。
厳寒と同様に暑熱地獄に耐えられず死亡する高齢者が多いのではないかと思っていたことが、統計データによって見事に覆された。最も過し易い春や秋よりも夏場の死亡率が低いとは! 事の真偽は定かではないが、これらのデータを解釈する際に、コレラや赤痢などの夏場に猛威を振るった経口伝染病が既に制圧された後のことであることを考慮しなければならない。もちろん、西行法師の時代にはコレラはインドのガンジス河流域の風土病であり世界流行はしていなかったが、赤痢やチフスなどの経口伝染病が夏場に猛威を振るっていたことは確かだろう。
日本におけるコレラ流行史(年間死者5000人以上)
西暦 |
和暦 |
患者数 |
死者数 |
1822 |
文政5年 |
? |
数万 |
1858 |
安政5年 |
? |
数十万 |
1862 |
文久2年 |
? |
数万 |
1877 |
明治10年 |
13,816 |
8,027 |
1879 |
明治12年 |
162,673 |
105,786 |
1881 |
明治14年 |
9,389 |
6,237 |
1988 |
明治15年 |
51,631 |
33,784 |
1985 |
明治18年 |
13,824 |
9,327 |
1886 |
明治19年 |
155,923 |
128,435 |
1890 |
明治23年 |
46,919 |
35,227 |
1895 |
明治28年 |
55,144 |
49,154 |
1903 |
明治35年 |
12,891 |
8,012 |
1915 |
大正5年 |
10,371 |
7,482 |
冬場では風邪、肺炎、結核など呼吸器病が猛威を振るっていたのであり、住居や衣類、ならびに食料が不十分であった時代には夏よりも冬が堪えたと考えられる。1947年に夏と冬場の死亡率が現在よりも高くなっているのはその面影を示しているのであり、西行法師の時代には春と秋の死亡率が最も低かったものと私は推測します。そして、厳寒を乗り越えて様々な花が咲き誇るころに死にたいという願望は、冷暖房がない時代の厳しい自然との闘いを物語っているものと思いますが、あなたは、どう解釈しますか?
「1C上巻 死亡 第5.11表 年次別にみた死因順位(死亡率人口10万対))」より
1995年以降は「肺炎」のみで「気管支炎」含まれていない。
「務めても なお務めても つとめても 務めたらぬは 務めなりけり」 (最後の笑顔 04.3)
臨済宗妙心寺派 臨川山吸江禅寺 住職 佐橋大観
心安らかになるための部屋
「犬山の寺院」には、「いい加減なお話の部屋」があり、結構な法話が沢山あります。